「キーン」「ジー」「ザー」――。長年このような不快な音に悩まされ、夜も眠れず、人と話すのもつらいと感じている方は少なくありません。そんな多くの人々に大きな反響を呼んだのが、NHKの人気番組「ためしてガッテン(後にガッテン!)」で取り上げられた耳鳴りの特集です。ためしてガッテンでは、耳鳴りをテーマにした放送が2回行われました。1回目は2015年3月4日「ついに!耳鳴りが治る 原因解明&治療最前線」、2回目は2020年4月1日「朗報!耳鳴りが劇的改善 自宅でできる新発想治療」です。とくに後者では、海外の最新研究や2019年に日本で初めて作成された「耳鳴診療ガイドライン2019年版」の知見をもとに、「耳ではなく脳に働きかける」という新しい発想の治療法が紹介され、視聴者に大きな希望を与えました。「耳鳴りの9割は治る」というフレーズは、済生会宇都宮病院の新田清一医師の著書タイトルとしても広く知られています。ただし、ここで言う「治る」の本当の意味を正しく理解しないと、過度な期待や逆の失望につながる可能性があります。本記事では、番組内容と現在の医学的根拠(エビデンス)を照らし合わせながら、耳鳴り改善の本当のところをわかりやすく解説します。
耳鳴りに悩む人はどれくらいいる?日本人の有病率
耳鳴診療ガイドライン2019年版によると、耳鳴りの有病率は人口の15〜20%とされ、日本人のおおよそ5〜6人に1人が一度は耳鳴りを経験しているとされています。さらに、臨床的に問題となる(生活に支障をきたすほどの)耳鳴り患者は人口の2〜3%、すなわち日本全体で約300万人にのぼると推定されています。加齢とともに耳鳴りを訴える人は増え、65歳以上の高齢者では3割以上が耳鳴りで苦痛を感じているとされています。重度の耳鳴りは、うつ・不安・不眠などの精神症状を伴いやすく、高齢者では認知機能への影響も指摘されており、決して「ただの加齢現象」と軽んじてよい症状ではありません。
耳鳴り患者の特徴をまとめると
| 項目 | 数値・特徴 |
|---|---|
| 耳鳴りの経験者 | 人口の15〜20%(日本で1,000万人以上とも) |
| 強い苦痛のある患者 | 人口の2〜3%(約300万人) |
| 65歳以上の有病率 | 30%以上が苦痛を感じる |
| 難聴の合併 | 耳鳴り患者の90%以上に何らかの難聴あり |
| 主な合併症 | 不眠、うつ、不安障害、集中力低下 |
耳鳴りはなぜ起こる?「耳の病気」ではなく「脳の問題」
ためしてガッテンが伝えた最大のメッセージは、「耳鳴りは耳ではなく、脳で鳴っている」という新しい考え方でした。これは多くの耳鼻咽喉科専門医が支持する現代的な耳鳴り理論であり、治療戦略の根幹となる考え方です。
自覚的耳鳴りと他覚的耳鳴り
耳鳴りには大きく2つの種類があります。「自覚的耳鳴り」は本人にしか聞こえない耳鳴りで、耳鳴り患者の大多数を占めます。一方、「他覚的耳鳴り」は血管や筋肉から発生する実際の物理的な音で、聴診器などで他人にも確認できる場合があります。後者は原因疾患を治療すれば解消することがありますが、前者は単純に音源を取り除けばよいというものではありません。自覚的耳鳴りの多くは、加齢や騒音曝露によって内耳の蝸牛にある有毛細胞がダメージを受け、特定の周波数の音が脳に届きにくくなることで発生します。脳は「足りない音情報を補おう」として聴覚系を過剰に興奮させ、その結果、本来存在しない音を「幻の音」として知覚してしまうのです。これは、失った手足の痛みを感じる「幻肢痛(ファントムペイン)」に例えられることもあります。
耳鳴りの「負のループ」とは
ためしてガッテンで強調されていたのが、耳鳴りを悪化させる「負のループ」のメカニズムです。流れはおおむね次のようになります。耳鳴りが発生する → 気になる(注意が向く) → 苦痛を感じる → さらに注意が向く → ますます大きく聞こえる → 苦痛が増す――というように、悪循環に陥ってしまいます。この「気にすればするほど大きくなる」性質こそが、耳鳴りの最大の厄介な特徴であり、同時に治療の糸口でもあります。
脳の「楔前部(けつぜんぶ)」と注意の関係
2020年放送のガッテンでは、脳の楔前部(けつぜんぶ)と呼ばれる、頭の後方上部に位置する部位が紹介されました。ここは「注意の向け先をコントロールする」役割を担っており、耳鳴りに苦しむ重症の人ほど、この部位の活動が常に高い状態にあることが研究で示唆されています。逆に、耳鳴りがあっても気にならない人は、楔前部の活動が落ち着いている傾向があるのです。つまり、耳鳴りそのものを完全に消すのではなく、「脳が耳鳴りに向ける注意のスイッチをオフにする」ことが、現代の耳鳴り治療の最大のポイントといえます。
ためしてガッテンが紹介した治療法と最新医療のエッセンス
耳鳴診療ガイドライン2019年版で推奨されている標準的な治療は、次のような順序で行われます。
1. 教育的カウンセリング
耳鳴りは命に関わる病気ではない、脳の仕組みで説明できる現象である――こうした正しい知識を医師から学ぶことが治療の第一歩です。耳鳴診療ガイドラインでも、「耳鳴の機序の説明を含む教育的カウンセリングは耳鳴に効果がある(推奨度1B)」として、強く推奨されています。「自分の耳鳴りは脳が作り出した幻の音であり、危険なものではない」と理解できるだけで、不安が大幅に軽減し、ループから抜け出しやすくなります。
2. 音響療法(サウンドセラピー)
音響療法は、耳鳴りに対して別の心地よい音を聞かせることで、耳鳴りを目立たなくし、脳の過剰反応を落ち着かせる方法です。静かな環境ほど耳鳴りが大きく感じられるのは、大脳皮質に届く音の情報量が少ないためで、適度な環境音を加えることで耳鳴りを「目立たないようにする」狙いがあります。
3. 補聴器の活用
ためしてガッテン2015年放送で大きく取り上げられたのが、補聴器による耳鳴り治療です。耳鳴り患者の9割以上に難聴があると言われ、補聴器で聞こえを補うことが脳の「音情報不足」を改善し、耳鳴りを軽減させるのです。耳鳴診療ガイドラインでも、「難聴がある耳鳴に補聴器を使用する音響療法は耳鳴に対する効果がある(推奨度1A:強く推奨)」と位置づけられています。これは数ある治療法の中でも、最もエビデンスが強いランクです。慶應義塾大学のデータによると、両側難聴の患者に補聴器による音響療法を行った場合、耳鳴の苦痛がほぼ消失した人が約37%、著明改善が約33%、やや改善が約25%にのぼり、合わせると9割以上の患者で何らかの改善が見られたと報告されています。「9割は治る」という言葉の根拠の1つは、こうした臨床データに基づいているのです。
4. TRT療法(耳鳴り再訓練療法)
TRT(Tinnitus Retraining Therapy)は、1990年頃にアメリカのジャストレボフ博士が提唱した治療法で、日本でも普及しています。これは、サウンドジェネレーターと呼ばれる小型の機器から、耳鳴りより少し小さい雑音を流し、それを長期間(1日6〜8時間、6か月〜2年程度)聞き続けることで、脳に耳鳴りを「気にしなくてよい音」として学習させていく治療です。TRTの有効率は約80%と報告されており、即効性はないものの、継続することで多くの患者で耳鳴りに対する苦痛が軽減します。一般的な治療経過は次のとおりです。
| 期間 | 典型的な変化 |
|---|---|
| 1か月 | 機器を装用している間、耳鳴りが楽に感じる |
| 3〜6か月 | イライラや集中困難が軽減してくる |
| 12か月 | 耳鳴りを意識する時間が減る |
| 18か月 | 機器をつけ忘れることが増える |
| 24か月 | 必要なときだけ使用すればよくなる |
5. 認知行動療法
認知行動療法は、耳鳴りに対する否定的な考え方や行動パターンを修正することで、苦痛を軽減する心理療法です。耳鳴診療ガイドラインでは推奨度1Bと評価されており、海外では標準治療の1つとなっています。日本でも一部の医療機関で行われていますが、現時点では保険適用外であることが多い点に注意が必要です。
自宅でできる耳鳴り対策・セルフケア
ガッテンの2020年放送で特に話題となったのが、自宅で簡単にできる音響療法です。専門治療を受ける前にも、また治療と並行しても取り組めるセルフケアとして、知っておく価値があります。
ホワイトノイズ・自然環境音を活用する
番組で紹介されたのが、ホワイトノイズや滝の音を流す方法です。ホワイトノイズとは、低音から高音までさまざまな周波数成分が均一に混ざった「サー」というノイズのこと。テレビやラジオで放送のない周波数に合わせると聞こえる、あの音です。福岡大学耳鼻咽喉科の研究でも、滝の音はホワイトノイズと波形成分が似ていることが示されており、耳鳴りを目立たなくする効果が期待できます。スマートフォンのアプリや動画サイトでも、ホワイトノイズや自然環境音を簡単に再生できます。ポイントは、「耳鳴りを完全にかき消すほど大きな音にしない」こと。耳鳴りより少し小さめか、同程度の音量で、長時間聞き続けるのが基本です。これは脳が「耳鳴りは特別な音ではない」と学習する助けになります。
耳鳴りから注意を逸らす習慣をつくる
楔前部による「注意のスイッチ」をオフにするには、日常生活で耳鳴り以外のことに集中できる時間を増やすことが効果的です。読書、散歩、趣味、運動、音楽鑑賞、人との会話など、自分が楽しめることに没頭する時間を意識的に作りましょう。ヨガや瞑想、深呼吸などのリラクゼーション法も、自律神経のバランスを整え、耳鳴りに対する苦痛を和らげるのに役立ちます。
生活習慣を整える
睡眠不足、過度な疲労、ストレスは耳鳴りを悪化させる代表的な要因です。十分な睡眠、規則正しい食事、適度な運動は、耳鳴りそのものを完治させる方法ではありませんが、症状の悪化を防ぎ、改善を促す土台になります。また、過度な飲酒、カフェインの摂りすぎ、喫煙は内耳の血流に悪影響を及ぼす可能性があるため、控えるのが望ましいでしょう。
大音量の音から耳を守る
イヤホンやヘッドフォンで大音量の音楽を長時間聴き続けることは、内耳の有毛細胞にダメージを与え、新たな耳鳴りや難聴を招く可能性があります。スマートフォンの「音量制限機能」を活用するなど、若いうちからの耳の保護が将来の耳鳴り予防につながります。
「9割は治る」の正しい理解:完治ではなく「気にならなくなる」
ここまで読んでくださった方は、ある重要なニュアンスにお気づきかもしれません。「耳鳴りの9割は治る」と言ったとき、それは耳鳴りの音そのものが完全に消える、という意味ではないということです。耳鳴り治療の現場では、患者にこう説明することが一般的です。「耳鳴りの音を消し去ることを治療の目的にすることはできません。しかし、耳鳴りがあっても、ほとんど気にならない状態にすることは十分に可能です」。これは決して期待値を下げる言い訳ではありません。耳鳴りに脳が反応しなくなれば、本人の生活の質は大きく改善し、不眠やうつ症状も解消され、結果として「治った」と感じられるのです。耳鳴り治療のゴールは、音の消失ではなく、「耳鳴りに支配されない生活を取り戻すこと」といえます。
一部の医療系メディアでは、ためしてガッテンを「医療エンタメ」と位置づけ、視聴者が「9割は完治する」と誤解してしまう可能性に注意を促す指摘もあります。番組はあくまで生活情報番組であり、医学的な厳密さよりも、わかりやすさや前向きなメッセージが優先される傾向があるためです。大切なのは、「希望を持つこと」と「現実を正しく知ること」のバランスです。
こんな耳鳴りは早めに耳鼻咽喉科へ
セルフケアで様子を見るのが望ましい場合と、すぐに医療機関を受診すべき場合があります。次のような症状がある場合は、できるだけ早く耳鼻咽喉科を受診しましょう。
| こんな耳鳴りは要注意 |
|---|
| 突然始まった耳鳴りで、聞こえも悪くなった(突発性難聴の可能性) |
| めまいや吐き気を伴う(メニエール病などの可能性) |
| 片耳だけに長く続く耳鳴り |
| 脈打つような「ドクドク」という耳鳴り(拍動性耳鳴り、血管病変の可能性) |
| 耳鳴りに加えて、耳の痛みや耳だれがある |
| 不眠やうつ症状で日常生活に支障が出ている |
特に突発性難聴は発症から1〜2週間以内の治療開始が予後を大きく左右するため、症状が出たらすぐに専門医を受診することが極めて重要です。発症から半年以上経過すると、聴覚の状態が脳に「定着」してしまい、完治させることが難しくなる傾向があります。
耳鳴り治療を受けるなら、どこへ行けばいい?
耳鳴りは耳鼻咽喉科の専門領域ですが、すべての耳鼻咽喉科で本格的なTRT療法や補聴器による治療が行われているわけではありません。次のようなクリニック・病院を探すとよいでしょう。補聴器相談医または補聴器適合判定医師の資格を持つ医師がいる施設、聴覚センターを併設する病院、耳鳴り外来やめまい・耳鳴り外来を標榜するクリニックなどです。日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会のウェブサイトから、補聴器相談医を地域別に検索できます。ためしてガッテンで紹介された新田清一医師がいる済生会宇都宮病院は、その代表例ですが、現在は新規予約が1年以上待ちという状態が続いていると報じられており、まずは身近な専門医に相談するのが現実的です。
まとめ
ためしてガッテンが伝えた「耳鳴りの9割は治る」というメッセージは、長年「治らない」と諦めていた多くの人々にとって大きな福音となりました。その内容を改めて整理すると、次のようになります。第一に、耳鳴りは「耳」ではなく「脳」で発生している現象であり、脳の注意のスイッチを切り替えることで大幅な改善が期待できます。第二に、難聴を伴う耳鳴りには補聴器による音響療法がもっとも強くエビデンスを持つ治療法であり、9割以上の患者で改善が見られています。第三に、ホワイトノイズや滝の音などを活用した自宅での音響療法も、補助的な手段として有効です。そして第四に、「治る」とは音が消えることではなく、耳鳴りに苦しまない状態を取り戻すことを意味します。耳鳴りに長く悩まされていると、「もう良くならない」「自分だけがつらい」と感じてしまいがちです。しかし、耳鳴りは決して特殊な症状ではなく、世界中で研究が進み、治療法も着実に進化しています。一人で悩まず、まずは耳鼻咽喉科の専門医に相談すること――それが、つらい耳鳴りから抜け出すための最初の一歩になります。ためしてガッテンが届けてくれた「希望」を、確かな「行動」に変えていきましょう。

